2016年12月26日月曜日

「男と男のロマン」。「男のロマン」(チャールズ・ブロンソン風)じゃないよ。



【ソース:http://hamarepo.com/story.php?story_id=45&from=http%3A%2F%2Fhamarepo.com%2Fstory_list.php%3Fuser_id%3D3%26fromStory%3D45 】


「男と男のロマンがつまっています。」


近来稀にみる傑作まとめフレーズだと思った。


昔、「ぴあ」という首都圏のあらゆる公演・イベント情報を網羅した雑誌が売れに売れていた時代があった。


当時、恋愛というものにてんで縁が無かった女子学生だった私がひそかに楽しみにしていたのが、いわゆる「ピンク映画」と呼ばれる作品のタイトルを読むこと。


実際に劇場まで行こう、とは少しも思わなかったんだけどね。
(だって、嫁入り前の娘ですもの。そんな大それたこと...。)


その手の映画が上映されているのは、銀座とか渋谷とかの、おしゃれな男女が行き交うような繁華街から一歩引いたような地域にある小さな劇場、というパターンが多かったように思う。


地代が安そうで、ファミリー層があまり行かなさそうで、どこかうらぶれた雰囲気の漂うところ...例えば、ちょっと場末感が漂う高田馬場とか浅草とか、神奈川だと記事にある野毛地区...あたりが代表格かな。


そりゃそうだろう。休日の家族連れが通るような場所に、あられもない姿の男女が大胆にフィーチャーされたポスターや、刺激的文言に満ちた看板は似合わない。


で、そうした「怪しい映画館」で上映されている低予算作品(スイマセン)のタイトルは、

「団地妻~」(←この辺はいかにも昭和。)

「女教師~」

「チ〇ン電車」

といった、お馴染みの枕詞で始まる物が圧倒的に多かった。


だが、注意して読んでいくと、中にはハリウッドの人気大作やドラマのヒット作のタイトルをパロったよねーこれは!ってなものも混じっていたりする。
そんな時は、おぬしなかなかやるな、と心の中で拍手送っちゃったりしたものだ。


そういうちょっとひねりの効いた面白いタイトルを探すのが楽しくって、大学からの帰りの電車ではよく売店で「ぴあ」を買って、隅々までほじくり返すように読みふけっていた。
210円(当時)の元はしっかり取っていた、と思う。


野毛の光音座(クリックは自己責任でお願いします。)、か。
覚えておこう...って、覚えてて一体どうするんだ。


まぁ、この渾身のルポルタージュを読んだ限りでは、私が今後この劇場に行くことは100%無いだろうけどね...。
小心者なもんで。はい。


世の中には「想像にお任せします」「後は察してください」というアドバイス通りにするのがベスト、というケースが数多くあるものだ。
人間やり始めて数十年も経つと、それが自然に分かるようになる。


心が折れそうになる寸前まで(いや、折れてしまったかもしれない。)粘り強く取材してくれた川邉絢一郎さんというライターさんには、心から「お疲れ様でした」と言いたい。


もしお会いできるのであれば、意味深な「肩、ポン。(=シゴトッテ、タイヘンダヨネ...)」をもってして感謝の気持ちを伝えたい、と思う。



2016年12月25日日曜日

聴くたびに古傷うずく、"Fastlove"(1996)。



公式PVはちょっとエログロの度合いが行き過ぎていてあまり心地よくないので、こちらの「紙芝居」風・静画をリンクしておこう。


聴くたびにいろいろと昔のことがよみがえる。
一生忘れられない、特別な一曲。古傷がじくじくと痛むような感じになる。
それが私にとっての"Fastlove"だ。
1996年晩春にリリースされたアルバム"Older"からの大ヒットであった。


元Wham!の、ジョージ・マイケル。
2016年のクリスマスの日に、53歳でこの世を去ってしまった。


だが、その長くはなかった53年で、彼は凡才ソングライターが一生かかってようやくひとつや二つ生み出すことができればラッキー、と言えるようなレベルの、極上ポップソングを10も20も生み出してしまった。
それも、いとも簡単に。

特にWham!の片割れとしてデビューしてから最初の十数年間の活躍ぶりは、「神がかり」的ですらあった。


彼こそ、真の天才という名にふさわしいクリエイター/表現者だった、と思う。


荒んだ私生活ゆえに後年はさんざん貶められてしまったけど。


ありがとう、ジョージ・マイケル。
われわれ'80's世代の人間にとって、あなたの音楽は永遠に青春のサウンドトラックであり続けることでしょう。



ヲイヲイ!!!この冒頭のDJのセリフ、
Scritti Polittiの"Wood Beez"12インチRemixからの借用、ですな!!!
(だと思う。あれ、違ったかな??? 久々に聴き直ししなきゃ...。)





85年組つながりで、"You Spin Me Round"。




去る10月に亡くなった1985年イギリス組(←と、勝手に命名)のピート・バーンズ(Dead or Alive)の代表曲・"You Spin Me Round"。


90年代に参加したプロジェクト・INFAMY名義でもって、ジョージ・マイケルがレコーディングしていたなんて。
発表したのが95年、ということは、全英2位まで上がった大ヒットシングル・Fast Love(96年)のリリース直前に出したんだな。


ジョージの名前が一切表に出なかったため、商業的には空振りに終わってしまったけど、ファンにとっては「知る人ぞ知る」名カバーとして愛されていたらしい。


一緒に歌っている女性は、Wham!のバックコーラスを勤めていたPepsi & Shirleyの一人・Pepsiだという。

(ソース:http://www.music-news.com/news/UK/33627/Read



幻の競演。ジョージ・マイケル+ジョディ・ワトリー

ジョディ・ワトリー(元Shalamar、現Shalamar Reloadedの一員として来日したばかり!)がFB上で言っていた。
ネットから離れて家族で過ごすクリスマスを楽しんだ後、ニュースでジョージ・マイケルの訃報を知り、大変ショックを受けている...と。

 

1984年の秋に始まったバンド・エイドプロジェクト(アフリカの飢餓救済を目指してのコラボ)に参加した数少ないアメリカ人参加者だったジョディ・ワトリーは、憧れのジョージ・マイケルとの共演を果たした。

ああ懐かしい。もしタイムスリップできるとしたら、
この時期のイギリスがいいな。
で、毎週、BBCのTop of the Popsを欠かさず見るんだ。
ジョディ・ワトリーがこのビデオに出ていたことから、
彼女はイギリス人だとばかり思い込んでおりました。20年近く。



ジョージも、かねてよりジョディの声が好きだった、とのことで、二人はたちまち意気投合。

「いつか一緒にレコードを作ろう!」と約束し合い、ようやく実現したのがこの1987年の"Learn to Say No"という曲だった。



彼女のソロデビュー作・"Jody Watley"(最大のヒットは"Looking for a New Love")に収録されたことはされたのだが、残念ながらシングルカットされることはなかった。
ジョージ・マイケルの所属レコード会社(SONY)が許可しなかったのだという。

(動画のコメント欄でジョディ本人がその旨を書き込んでいる!ほんとに、実現していたらさぞやゴージャスなPVが作られたことだろうね。)


もしシングル化していたら、後年のアレサ・フランクリンやエルトン・ジョンとのデュエット同様、ジョージの代表作の一つとなっていただろうに。

まったく、惜しいことをしたもんだ。



ジョージ・マイケル。アイドルだけじゃ、もったいない。



画面右側のバックコーラスの女性は、後にスタイル・カウンシルに加わりポール・ウェラー夫人となった(その後離婚)D.C.Leeだね。
サングラス外した時の顔で間違い無し、と確信。


ビキニ着用の巨大な着ぐるみの女性(一体何を狙っての演出なのか...)、後ろのベースギターのお兄さんの髪型、ジョージ・マイケルの白い靴下(またか!)...と、80年代感てんこ盛りで懐かしい感じのビデオであります。


それにしても、デビューアルバムでここまで完成度の高いポップソングを作っちゃったジョージ・マイケル。当時20歳そこそこだったはず。
ただものではなかった。
残念でならない。53歳での死はあまりにも早過ぎる。

こちらは公式PVね。



決して色褪せしない名曲:"Everything She Wants" (Wham!)




このキャッチ~な「アイドル踊り」がたっぷり見られるTop of the Popsからのビデオが大好きで、今でも一ヶ月に一度は見ていた。


ズボンの裾からのぞく、白い靴下(笑)←こ、故人に何てことを!



ありがとう、ジョージ・マイケル。

ひどすぎる...ひどすぎる...。
よりによってクリスマスに逝ってしまっただなんて。



2016年前半は70年代音楽ファン受難の年、って感じで始まった。

まずは新年早々のデビッド・ボウイ。

グレン・フライ。

ELPのキース・エマソン(と、12月7日に死去したグレッグ・レイク)。


だが、年が深まるにつれて、われわれ80年代音楽ファンにとっても堪えるような訃報が次々と入って来る。

モーリス・ホワイト(EW&F)。

プリンス。

ピート・バーンズ(デッド・オア・アライブ)

そして、最後の最後にメガトン級の衝撃食らわしてくれた、ジョージ・マイケルの訃報...。


胸がつぶれそうだ。


有り余る才能の持ち主だったのに、晩年にはそれを棒に振ってしまった感があったジョージ・マイケル。
波乱万丈の人生、お疲れさま。
今はただ、安らかに眠ってほしい。

2016年12月20日火曜日

コートよりもあったかいもの、それは。



アメリカ合衆国のど真ん中・ミズーリ州セントルイスのとある街角に出現した、善意のコートラック。

「コートが必要?
おひとつどうぞ。
協力したい?
寄付していってね。」

すてきな試みだなあ。
一日に数回は補充・入れ替えをしているとのこと。

少しでも多くの人があたたかなクリスマスシーズンを過ごせますように。

【参考記事(英文):http://www.riverfronttimes.com/foodblog/2016/12/19/leave-a-coat-racks-provide-a-helping-hand-in-south-city

2016年12月12日月曜日

シューベルトのセレナーデ(演奏:V. ホロヴィッツ)

映画の中でシーモアさんが子供の頃、「美しすぎて泣いた」ほど感動した、というシューベルトのセレナーデ(リスト編曲)。

【02/15/17追記:こちらで記事にしちゃいました。】
https://dragonlaughsalone-pastmidnight.blogspot.com/2017/02/blog-post_69.html


残念ながらシーモアさんご本人による演奏が無いので、20世紀最高のピアニストと誰もが口を揃えるウクライナ系ユダヤ人・ウラジミール・ホロヴィッツ(1903-1989)による演奏で。


中学生の時、老ホロヴィッツが初来日した。1983年のこと。
 「チケット5万円」というニュースに度肝を抜かれたのをよく覚えている。しかも、即日完売だってよ。すごい。クラオタ(クラシックオタク)さんたちの狂喜乱舞ぶりがうかがい知れるエピソードだ。


...この動画レベルの演奏と、


あの超絶技巧の「カルメン前奏曲」!!!


を生で聴かせてくれるのならば、5万円なんてちっとも惜しくはない。
そう考える人が大勢いるのは、至極当然だと思う。
「次は無い。最初で最後の日本公演。」って誰もが信じていたからね。
(大方の予想に反し、ホロヴィッツはその後、1986年に再来日した。)


残念ながら、83年コンサート後のレビューに登場した「ひびの入った骨董品」という強烈な一言だけが独り歩きしちゃったけど。
演奏のあまり出来が良くなかったらしい。


そうですか。吉田秀和氏でしたか、発言の主は。
なるほど。
歯に衣着せぬ言い方する人、って感じだものね。


音楽を語る〈下〉―対話による音楽入門 (1975年)
吉田 秀和
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(上巻が読みたいんだけどな。残念ながらうちにあるのはこちらの<下>のみ。)


ちなみに、ほぼ同時期に来日したフリオ・イグレシアス(エンリケのパパ...って言っても既に過去の人化していて、通じないか⁉)のディナーショーのチケットはその二倍の10万円だった。即、売れたそうだ。

「なぜにぃ~~♪」...どうしても郷ひろみの声がかぶる。


ああ、バブル経済絶頂期。
日本が一番浮かれていた時代だったよ。






KISSを抜いての上位ランクイン

シーモア先生の本、すごい!
ポール・スタンレー(KISS)自伝よりも売れてるよ!!!




シーモア先生の愛弟子・市川純子さん(米在住ピアニスト)

シーモアさん(シーモア・バーンスタイン)の愛弟子で、映画にも登場して先生との微笑ましい掛け合いを披露してくれた、市川純子さん。ニューヨーク在住で、昨年にはカーネギーホールでも演奏されたそう。
すごいなあ。


シーモアさんもまた、「音楽をやる人なんて一人もいなかった」ご家庭の出身。
お父さんはロシアからのユダヤ系移民。
スクラップ金属回収・加工業を営んでいて、一人息子のシーモアさんに家業を継ぐ意思が全く無かったため、大いに落胆していたそうだ。
そうした父親の失望については、映画の中でも軽く触れられている。
もっと詳しい話が知りたい人は、ぜひこちらの本で...。




北海道・帯広市生まれの市川純子さんも、恵まれた音楽一家に育ったというわけではないのだろうが、とにかくピアノが大好きな女の子だった。
自分ひとりの努力と、天賦の才能、そして素晴らしい恩師に恵まれてここまでやってきた、という経歴は、師匠のシーモアさんと重なり合う部分が大だったのではなかろうか。


東京芸大、その後アメリカの大学・大学院、と順調に進まれ、最終的には博士号を取得された市川さん。
理解あるフィアンセ(今では「伴侶」かな?)に見守られ、現在もアメリカで演奏活動を続けられているという。


シーモアさんをして「僕のより上手だよ。先生よりうまく弾いちゃ、だめだよ(笑)。」と言わしめた市川さんのピアノ、間近で聴いてもきっと「夢のような」素敵な音なんだろうな、と思う。

動画開始後、0:30のあたりで市川さん登場です。


うちの近くにツアーで来てくれた暁には、ぜひとも生演奏を聴きに行きたい。

市川純子さんのHP:http://www.junkoichikawa.com/

「この、二つの手で」(With Your Own Two Hands)




映画「シーモアさんと、大人のための人生入門」の一番最後にシーモアさんがつぶやいた一言(ネタバレ控えます)で、ドドドォォォーーーーーッと滝のように涙があふれた人、これ、絶対買うべきだと思いますよ。


心で弾くピアノ―音楽による自己発見
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(私は既に1冊確保済み。あと1週間したらこちらに届くことになっているのだ。楽しみ~。)



「自分を好きになること(self-love)が何よりも大事」(シーモア・バーンスタイン)

現代の老賢者・シーモアさん(http://www.uplink.co.jp/seymour) 
の名言がてんこ盛りの、貴重な単独インタビュー動画です。



「創作活動をする上で何が一番大事かって?自分を好きになること(self-love)だよ。」


「自分の中の【声】が外へと出たがっていたのを止めるわけにいかなかった。 
だからコンサートピアニストの活動を止めて、『創る』ことを始めた。」

「役者であるイーサン(・ホーク)も、ある意味ピアニストの僕と同じような立場だった。演じて、再現するだけ。結局、セリフを書いたのはシェイクスピアだからね。役者は演じるだけ。 
だから、彼も自分オリジナルの映画を作りたくなったんだろう。」

「僕は50を前にして、有名な作曲者が遺した【声】を再現するだけの毎日に飽き足らなくなってしまった。
作曲し、文章を書く、という創造活動をし始めたのはそのためだ。
自分だけの【声】を出したくなったんだ。

「僕が出したピアノ曲集に対しても、『フランス音楽みたいだ』『スクリャービン風だ』とか、『無調音楽だね』(シーモアさん曰く『無調音楽ではないんだけどね。』)とか、ごちゃごちゃ言ってくる奴はいたさ。
でも、何に似ていようが、人がどう受け取ろうが、別に構わない。いちいち気にしない。
だって、それは僕自身が出したかった【声】なのだから。

「外野からの余計な声に自分の創作活動を邪魔されたくなかったら、
【自分を好きになること(self-love)】 
が絶対に必要だ。」

特に芸術活動をしているわけではないけれど、【あたらしい自分】をこれから作り上げていきたいな、と思っている方。
シーモアさんの生き方、ぜひ、スクリーンで見て、そして感動の涙をいっぱい流してきてくださいな。