ネットから離れて家族で過ごすクリスマスを楽しんだ後、ニュースでジョージ・マイケルの訃報を知り、大変ショックを受けている...と。
1984年の秋に始まったバンド・エイドプロジェクト(アフリカの飢餓救済を目指してのコラボ)に参加した数少ないアメリカ人参加者だったジョディ・ワトリーは、憧れのジョージ・マイケルとの共演を果たした。
ジョージも、かねてよりジョディの声が好きだった、とのことで、二人はたちまち意気投合。
「いつか一緒にレコードを作ろう!」と約束し合い、ようやく実現したのがこの1987年の"Learn to Say No"という曲だった。
彼女のソロデビュー作・"Jody Watley"(最大のヒットは"Looking for a New Love")に収録されたことはされたのだが、残念ながらシングルカットされることはなかった。
ジョージ・マイケルの所属レコード会社(SONY)が許可しなかったのだという。
(動画のコメント欄でジョディ本人がその旨を書き込んでいる!ほんとに、実現していたらさぞやゴージャスなPVが作られたことだろうね。)
もしシングル化していたら、後年のアレサ・フランクリンやエルトン・ジョンとのデュエット同様、ジョージの代表作の一つとなっていただろうに。
まったく、惜しいことをしたもんだ。
1984年の秋に始まったバンド・エイドプロジェクト(アフリカの飢餓救済を目指してのコラボ)に参加した数少ないアメリカ人参加者だったジョディ・ワトリーは、憧れのジョージ・マイケルとの共演を果たした。
ああ懐かしい。もしタイムスリップできるとしたら、
この時期のイギリスがいいな。
で、毎週、BBCのTop of the Popsを欠かさず見るんだ。
ジョディ・ワトリーがこのビデオに出ていたことから、
ジョディ・ワトリーがこのビデオに出ていたことから、
彼女はイギリス人だとばかり思い込んでおりました。20年近く。
ジョージも、かねてよりジョディの声が好きだった、とのことで、二人はたちまち意気投合。
「いつか一緒にレコードを作ろう!」と約束し合い、ようやく実現したのがこの1987年の"Learn to Say No"という曲だった。
彼女のソロデビュー作・"Jody Watley"(最大のヒットは"Looking for a New Love")に収録されたことはされたのだが、残念ながらシングルカットされることはなかった。
ジョージ・マイケルの所属レコード会社(SONY)が許可しなかったのだという。
(動画のコメント欄でジョディ本人がその旨を書き込んでいる!ほんとに、実現していたらさぞやゴージャスなPVが作られたことだろうね。)
もしシングル化していたら、後年のアレサ・フランクリンやエルトン・ジョンとのデュエット同様、ジョージの代表作の一つとなっていただろうに。
まったく、惜しいことをしたもんだ。
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