舎弟扱いされてる神奈川県...。
(まぁ、完全にスルーされている山梨・岐阜・富山に比べたら、まだ関心持たれただけマシなのかもしれないけどね...。)
ふん。
住むもんか。
多摩川の向こうになんて。頼まれたってゴメンだよ。
なまはげの正しい出没場所もわかっていないような地理オンチに、神奈川の良さなんて理解できるわけないじゃん。
ちなみに駅弁に関しては東京・上野の二大ターミナルを縄張りとしている日本食堂よりも、横浜・崎陽軒の方がウマいと評価する人が多いぞ。少なくとも私の周囲では。
あ、
福山雅治さんもそう言っているみたいだよ。シウマイ弁当とシウマイ別箱を一緒にお買い上げ、ってあたり、相当のマニアですな!
有名なのはシウマイ弁当、そして炒飯(チャーハン)弁当かな。
一昔前の人には「焼飯」の方が通りがいいかも。パラパラご飯が最高においしい😋んだなーこれが!!! (本文末尾の動画、ご参照ください。)
今をときめく家系ラーメンfrom横浜よりもずっと、ずーーーっと昔から横浜市民、そして神奈川県民に愛されてきた、真のソウルフードですからね。
偉大なる横浜崎陽軒のシウマイよ、永遠なれ。
私が懐かしく思い出す、昭和40年代の「崎陽軒」はこんな感じだった。
小さい頃、相鉄沿線の二俣川(運転免許試験場でお馴染みの...)駅近くの公団団地に住んでいたうちの家族。
横浜以東の遠くに家族で出掛けた折には、相鉄線の電車に乗る前に一旦駅を出て、こちらの崎陽軒本店のレストランで食事してから帰るのが習慣となっていた。
玄関を入り、らせん階段を上がった2階がわれわれ家族のような一般庶民が食べるレストランとなっていたように記憶している。(きっと、それより上の階は個室や宴会場として使われていたのだろう。)
頼むのは、もちろんお子様ランチ。
レストランでお皿から食べるシウマイは、折詰で持ち帰って家で食べるシウマイよりも一段とおいしく、ちょっと高級な味のように感じられたものである。
あれから40ン年経った今も、薄紫色のプラスチック製のお冷や用コップの色や質感だけははっきりと脳裏に焼き付いている。
上の崎陽軒本社ビル写真からもわかると思うけど、当時、横浜駅の東口といったら崎陽軒以外にこれと言って目立つ建物は無し。高島屋、岡田屋(現・MORES)といったデパートで賑わっていた西口とは全く違い、子供心には本当に魅力に乏しかったのが東口だった。
そう、まさにこんな感じ。
http://www.yokohama-album.jp/picture/detail/2397/ 画面右手にうっすらと見える岡田屋デパートの屋上遊園地の遊具、たまらなく懐かしい。
東口には国鉄(JRの全身)の貨物駅や、そうした鉄道貨物で送られてきた小荷物の引き取り用窓口などがあった。
福島の祖母から送られてきた、干し柿や梅干しのぎっしりつまった段ボール箱の荷物を受け取るため、小さい頃は割と頻繁に母親とあの辺に通ったものだ。
(昭和40年代だったので、クロネコヤマトさん&宅配便が登場してくるのは、まだ先のこと。小荷物の輸送に関しては旧石器時代みたいに不便な時代だった。家まで集荷に来てくれるなんて夢のようなサービスも、当然無かったよ~。田舎のおばあちゃんが娘一家のところへ故郷の味の詰め合わせ一つ送るにも、大変な手間がかかる時代だった。)
ただのゴチャゴチャした殺風景な平地で、それから20年もしないうちにあの巨大なそごうが立つことになろうとは、とても想像できなかった。そのぐらい寂れていたのが、東口駅前だった。
今じゃ、こんなですからね...。
もうね、食欲や物欲に悩まされている人間にとっては、誘惑だらけでホント困っちゃいますよー、この界隈。(~_~;)
あと3か月でまた横浜行けるなー。
毎度毎度、あの猛暑には参ってしまうけど、でも、それ以上に楽しみが多い里帰り。
頑張って体力蓄えておこうっと。
そうそう。今回は忘れずに崎陽軒の炒飯(チャーハン)弁当も食べなくっちゃ!!!
(いつも時間切れとなる滞在末期に思い出しては、「しまった、また今回も食べ損ねた!」ってなるんだよね...。)