2017年2月13日月曜日

米国流バウンダリー(境界線)vs 日本流「よろこんで!」

今日は10年以上お世話になっている美容師さんのところでカット。


アメリカ生活に関しては、彼の方が先輩だ。随分前に別れた奥さんも、アメリカ人だったというし。
今はアメリカ人とシェアハウスで暮らしている人なので、われわれのような100%日本人家族では経験できないような話が聞けて、とても面白い。


大家さんは白人のおばあさん。もう90近くになるというのに、まだまだ運転する気満々らしい。(これだからアメリカは交通事故が多いんだよ...💦)
娘や息子といった血のつながった家族とは離れ、自分が所有する大きな一軒家に下宿人たちと共に住んでいる。


このおばあさん、簡単な家の大工仕事や荷物運びなどを、近くにいる住人に頼むことがたま〜にあるそうだ。
「送られてきた荷物、ちょっと二階に運ぶの手伝ってくれない?」


日本人である美容師さんは、たいていの場合、「はい、はい、いいですよ。」と即、応じてあげる。
(たいていの日本人ならそうするだろうね。大家さん怒らせると厄介だぞ!っていう頭がまず、あるから。)


ところが、アメリカ人、特に若い子だと、全然違った反応をするらしい。
大家さんには、「わかった。でも、今、ギターの練習しなきゃいけないから。」と断り、一旦部屋に引っ込む。
で、申し訳程度にチャラリラチャラリラ~♪と、5分か10分かの爪弾き練習。
その後で再び何事も無かったかのように部屋から出てきて、ささっと大家さんからの頼まれごとを片付けてやる...
そういう流れになるらしい。


日本人の美容師さんにとっては、「あんなちょびっとばかりのギターの練習だったら、頼まれごとを先に片付けてあげりゃいいのに。」と、いつも不思議でならなかった、という。
もっとも、「すぐに応えない」タイプのアメリカ人の子達は、数ヶ月以内に別の部屋を見つけて出て行くケースが大半だそうだ。


アメリカ人の若者たちの気持ち、私にはちょっとわかるような気がした。


入居して、おばあさん大家さんの頼みごとに「ハイハイ、OKですよ」と即、応じてしまうことで、大家さんvs若い子の間に一種の「上下関係」が固まってしまうのが嫌なんだ、と思う。


「言われたら、応えないと...」という無言のプレッシャーに、彼らなりのやり方で精一杯抵抗したいんだよ。
バウンダリー(境界線)をまずはっきりさせておきたいのだ。


用件を先延ばしにする口実は何でもいい。あくまでも口実、だから。
ギターの練習でも、メール大至急送らなきゃ~!でも、友人からの電話待ちでも。
そうやって、間に何か自分の「のっぴきならない事情」を挟むことによって、彼らは主張するのだ。


「自分は間借り人ではあるが、あなたとはれっきとした他人。
こっちにもそれなりの用事やら仕事やらがあるのだから、それを尊重してもらいたい。頼まれたら必ず応えてくれる、なんて、親が子に抱くような期待はしないで欲しい。」
このようなメッセージを、大家さんであるおばあさんに伝えようとしていたのだね。
しっかりしているなぁ。
まぁ、ある意味、ビジネスライクでドライだとも言えるが。


...ホームステイや下宿人を受け入れる際に、「日本人大歓迎!」と言うアメリカ人(特に年配の人)が多い理由、わかる。
一人暮らしのお年寄りだと、寄る年波と衰える健康からだんだん弱気になってきて、「擬似家族関係」を作りたいという気持ちが日に日に強まるのだろう。
そんな時、息子・娘や孫みたいに年長者を立ててくれて、気配りができる礼儀正しい(←これ重要)日本人がいてくれたとしたら...。
お年寄りの方でも、ほっとするんじゃないかな。


何でもかんでも損得勘定で割り切らないような人が傍にいてくれるというのは、ありがたいことなのだ。
特に、アメリカのような、弱肉強食で個人主義の発達した社会では。




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